添削サンプル

課題「子どもの学力についてあなたの考えを1200字以内でのべなさい」


添削例(解答のサンプルは下にあります)

[評価] 

 1200字以内で1180字という絶妙な字数で終了しています。字数は合格ですね。さて、内容の添削に入っていきましょうか。

 まず、教育学部で「学力」の問題が問われています。

  1. なぜこのような問題が出題されたのかという出題者の「意図」を考える。
  2. 今度はその問題に対しての「理解度」を見られるので、自分の持っているそれなりの情報を整理して使えるように組み立てる。
  3. 上の1・2をふまえて自分の考えを論理的に述べていく。

 そして、これに従ってあなたは自分の考えを1200字以内で述べなければなりません。あなたにとって「学力」とはかなり理想に近いものになっていますね。結論部分からしてそう思います。それはいいとしても、その総合的な学力論を裏付けるものが必要です。

 たとえば、この添削の下に参考資料をつけておきますから、必ず目を通しておくようにしましょう。これらの資料をふまえた議論が必要とされますから。

 では、添削に入ります。

(注)▲は「ここから上の文章についての添削が始まりますよ!」という意味です。

▼は「この部分についての添削はここで終了します。次に移ります!」という意味です。

添削開始!!

最近問題なっている「学力」について考えてみる。

▲ この場合は「学力」について述べよ、という課題がはっきりしていますから、これを繰り返す必要はないでしょう。あえて冒頭にわざわざ繰り返すとすれば、「文科省の言う『確かな学力』について検討したい。」というような具体的にテーマを絞り込んで行く意志表示ならばいいでしょう。そうでなければここの文章は必要なし。▼

 一般的に一定の教科や分野において、学力テストなどで一定以上の得点をとることを学力というのか、それとも、一定の教科や分野に対する学習上の意欲や関心に基づいて習得した分析力や判断力までを要求することを指しているのか、その正確な実質的な検討がなされていないと思われる。

▲ ここは大事な部分なので、主要な学説や文科省の見解など、具体的な「定義」や概念の紹介が必要だろう。また、「判断力までを」の部分は「判断力まで評価することを」とした方が正確だ。  ▼

 テストなどでの得点をとることが「学力」だという考えとその実行は生徒たちの間に精神的な軋轢や絶望感などによるドロップアウト現象を起こしている。

▲ 「だという考えと」は「だとすると」と訂正すべき。

 文科省は中教審答申(2003年10月7日)を受けて新学習指導要領を作成しました。そこで述べられる「学力」についてふれている。
 そして、文科省の通達114号(下の資料参照)では、「学力」とは,「知識を詰め込み,試験で得点がとれるといったことだけを意味しているのではありません。子どもたちが生涯を通じて自ら考える力を育むためには,知識や技能に加えて,学ぶ意欲や思考力,判断力,表現力なども含めた[確かな学力]が必要です。
 先日,中央教育審議会から,子どもたちが[確かな学力]をしっかりと身に付けるため,全ての学校で基礎的・基本的な内容はきちんと指導した上で,発展・補充学習など,それぞれの学校で大いに創意工夫ができるようにするための提言が出されました。
 各学校では,日々の教育を振り返り,なお一層の創意工夫に満ちた指導をお願いしたいと思います。
 文部科学省としては,習熟度別指導をはじめ少人数による指導を行うための先生の数を増やすなど,これからも全国の学校の取組を支援していきます。」と述べている。▼

 一方で、学力というものが、さまざまな状況においての分析力や判断力までを意味するものだとすると、今度は、学校教育の質の問題が出てくる。これはもうすでに学校教育の限界という視点から出てきた「ゆとり」論を考えればその結論は出ているに等しい。

▲  ここが一番大切なことで、あなたも将来学校の教師になることを目指す以上はここを避けては通れないはずだ。
 当然ながら、詳細な資料の要約などを駆使した検討が必要。

 参考のために資料を提示しておくと、まず、
中央教育審議会の2003年10月7日 初等中等教育における当面の教育課程及び指導の充実・改善方策について(答申)の中で、
 「 [確かな学力]とは,知識や技能に加え,思考力・判断力・表現力などまでを含むもので,学ぶ意欲を重視した,これからの子どもたちに求められる学力」であるとしている。
 文科省は、上の中教審答申の実現化に向けて次のように「学力」をとらえなおしている。つまり、「学力向上アクションプラン」としてあげられているのは、「[確かな学力]向上のための総合的施策として、平成15年度より実施しています。
1.個に応じた指導の充実 2.学力の質の向上 3.個性・能力の伸長 4.英語力・国語力の増進」である。
 これらを実現するために「わかる授業」を提唱し、総合学習の時間を使って、補習や個別指導や発展学習も可としている。それどころか奨励さえしているように読み取れる。
 全体的に「学校の復権」を目指しているともとらえられる。▼

 今教育界に対して社会全体は「学力」を取り戻す教育を学校でやるように再び要請している事実がある。大きな問題として、国家の教育の計という問題がある。学力養成から偏差値追放・学力意識の弊害論へ、そして、「ゆとり教育」への大きな転換。さらに今度はゆとりは不要で学力のさらなる養成を強化する。このようになっていくと、この大きな「ゆれ」に翻弄されている現場の教員や親ばかりでなく国民全体が省の作文や委員会の結論などに一喜一憂しなければならなくなるという非常に不健全な状況が生まれざるを得ない。

▲ここはなかなかいいのではないではないか。

「社会全体は『学力』を」は「社会全体は従来の意味での」と断っておくべき。
「事実がある。大きな問題」は、「事実がある。それに加えて大きな問題」とすべきでは。

「国民全体が省の作文」は「国民全体が文科省の作成した作文」とすべき。
「委員会の結論」は「各種専門委員会の目的論にも見える結論」にすべきでは。
これは提案です。あなたが「一喜一憂」と指摘したのでその見解に添って指摘したまで。▼

 私は「学力」というものはその人間の持っている総合力と考える。したがって、そのような概念に立脚した「学力」は学校がもっぱら「与える」ものではなくて、当該子供を取り巻く環境に存在する周りの人たちが協力したり共同で行うことによって成り立つものである。

▲これはいい。持論に入ったね。▼

 そうすると、学校の持っている教育力はその圏内での子供を取り巻くひとつの教育媒体の一つにすぎないと言うことになる。そして、地域での生きた体験や仕事や情報などを子供が生き生きと習得する中から自主的な学習意欲が生まれるだろう。そうする中でそれ以上の知識欲を持った生徒にそれ相応のカリキュラムを設定したコースなどを学校やしかるべき機関で設定すればいいことである。

▲ 最初の段は、文科省も自ら認めている。二文目はもっと具体的な自分なりの「提案」がほしい。そうしないとせっかくの持論に入っているのに、あなたの持っている「新アイディア」が見えない。この小論文においてここが一番重要であると思われるがどうか。

 練り直した方がいい。

 いわゆる「ふきこぼれ」と「おちこぼれ」対策だね。これは指導の領域ではどこでも起こることで、問題はそれをどう解決していくかだ。提案としては多少中途半端だけれど、一応具体的な提案の形にはなっている。が、インパクトは薄い。▼

 ひとりひとりの子供の特性を複数の機関や人たちがより深く理解し、そして、その特性を伸ばしていく機会をできるだけ増やしていく環境作りこそ真の「学力」養成に求められていることであると思う。

▲ 「を複数の機関や人たちがより深く理解し、そして、その特性を伸ばしていく機会をできるだけ増やしていく環境作りこそ」は、「を認識し、さらに伸ばすきっかけを作るために、その子供の家庭やその子供を取り巻く隣近所の人たちや保護者会の人たちや民間企業の人たちをも巻き込んだ『地域』を形成し、学校をもその一つとするような力強い運動を起こし、そして、それが有機的に機能していく途を探るべきである。その環境作りこそ」にしてはどうか。あなたの意見を考慮した上での提案。これを参考に練り直そう。▼

 私の経験から言っても、本気で勉強したのは「知りたい」という欲求が出てきた高校2年生の夏以降であった。現在かなりの偏差値を持っている。やってできないことはないと思う毎日だ。子供たちには真の「学力」を身につけてほしいと願わずにはいられない。

▲ここは正確に。まず「受かりたい」ではなかったか。そして、深く学びたいことが出てきたのではないか。いきなり「知りたい」となったのならば大したものだ。

ここは大切なあなたの直接体験だから、正直に読み手が納得できることを書いていこう。

「毎日だ。」の後には、教育者になるつもりのあなたの「決意」も一文入れる必要があると思うがどうか。

添削は以上!

 (注意) 小論文の採点の「総合評価」とは、以下のような各分野に対する評価を加算した総合評価になっています。

1.題意にあっているか A 合っている  B 大体合っている  C ほとんど合っていない
2.文字の正確さ・丁寧さ A 優秀  B 普通  C 普通以下
3.誤字・脱字 A 優秀(◯箇所以下または少ない)  B 普通(◯箇所以上◯箇所以下または普通程度)
C 普通以下(◯箇所以上または多い)
4.論理構成 A 優秀  B 普通  C 普通以下
5.独自性 A 優秀  B 普通  C 普通以下
6.総合評価 A 優秀  B 普通  C 普通以下

 (注意)大学によって、このような基準や総合評価の算定方法は異なっています。各評価を点数に変換するところもありますし、特定の点数一覧表を持っているところもあるようです。添削を受ける生徒の皆さんには、私たちのもっている評価方法に関する情報も随時提供していく予定です。

解答例

 最近問題なっている「学力」について考えてみる。

 一般的に一定の教科や分野において、学力テストなどで一定以上の得点をとることを学力というのか、それとも、一定の教科や分野に対する学習上の意欲や関心に基づいて習得した分析力や判断力までを要求することを指しているのか、その正確な実質的な検討がなされていないと思われる。

 テストなどでの得点をとることが「学力」だという考えとその実行は生徒たちの間に精神的な軋轢や絶望感などによるドロップアウト現象を起こしている。

 一方で、学力というものが、さまざまな状況においての分析力や判断力までを意味するものだとすると、今度は、学校教育の質の問題が出てくる。これはもうすでに学校教育の限界という視点から出てきた「ゆとり」論を考えればその結論は出ているに等しい。

 今教育界に対して社会全体は「学力」を取り戻す教育を学校でやるように再び要請している事実がある。大きな問題として、国家の教育の計という問題がある。学力養成から偏差値追放・学力意識の弊害論へ、そして、「ゆとり教育」への大きな転換。さらに今度はゆとりは不要で学力のさらなる養成を強化する。このようになっていくと、この大きな「ゆれ」に翻弄されている現場の教員や親ばかりでなく国民全体が省の作文や委員会の結論などに一喜一憂しなければならなくなるという非常に不健全な状況が生まれざるを得ない。

 私は「学力」というものはその人間の持っている総合力と考える。したがって、そのような概念に立脚した「学力」は学校がもっぱら「与える」ものではなくて、当該子供を取り巻く環境に存在する周りの人たちが協力したり共同で行うことによって成り立つものである。

 そうすると、学校の持っている教育力はその圏内での子供を取り巻くひとつの教育媒体の一つにすぎないと言うことになる。そして、地域での生きた体験や仕事や情報などを子供が生き生きと習得する中から自主的な学習意欲が生まれるだろう。そうする中でそれ以上の知識欲を持った生徒にそれ相応のカリキュラムを設定したコースなどを学校やしかるべき機関で設定すればいいことである。

 ひとりひとりの子供の特性を複数の機関や人たちがより深く理解し、そして、その特性を伸ばしていく機会をできるだけ増やしていく環境作りこそ真の「学力」養成に求められていることであると思う。

 私の経験から言っても、本気で勉強したのは「知りたい」という欲求が出てきた高校2年生の夏以降であった。現在かなりの偏差値を持っている。やってできないことはないと思う毎日だ。子供たちには真の「学力」を身につけてほしいと願わずにはいられない。

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